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幸せってなんだろう

幸せってなんだろう

先日は「幸せな人」を閉め出してすみませんでした。そもそも、人によって「幸せ」の感じ方って違うと思うからもうどうでもいいんです。ぐうたらぷーさんのコメントを読んでなるほどなぁって思いました。


私が考える「幸せ」とは、決して物欲で満たされることでもなければ、名誉欲が満たされることでもない。

「逆境の中でも「幸せ」を見いだそうとしなければ、人は生きて行けない」とある人に言われたことがある。というか昔、弁護士にそう怒られた。確かに、逆境を逆境と思わずに前進できる「良い意味で」鈍感な人もいれば、本当に前向き思考のできる見上げた人もいる。

9年ほど前、あまりに長く続いた辛い日々の中で、とうとう心療内科にも通院始め、体重は40キロを切ってしまった。慢性疼痛もとうとう市販の鎮痛剤が効かない身体になってしまった。それでも、そのときの辛い状況を弁護士は前向きに考えるしかないでしょうと言い切った。前向きに考えられるよう問題を解決して欲しいから雇ったのに、その弁護士にそう言われては元も子もない。

問題は今も解決していない。今年はとうとう相手と連絡が取れなくなってしまった。弁護士という人種は絶対に「約束」をしてくれない。いつごろまでに片付くものなんでしょうか?的な質問には特に絶対に答えない。それが弁護士的常識なんだろうけれど。私は問題の解決を見ないまま墓まで持って行くことになるのか?


話は戻るけど、一方で、逆境とは思えない環境にあっても、今の自分を「不幸」と思う人だっている。そんなの主観的なものなんだと思う。その人の幸せか不幸せかを客観的に判断する権利なんて誰にあるというのだ?


先に弁護士に言われた言葉だけど、私も子供の頃はあの過酷な環境をさほど酷いとは思っていなかった。辛いときもあったけど、たいがいは「自分が悪いから怒られるのだろう」と済ませていた。日々感動できる物事(多くは自然)の多さの中に幸せを感じていたかもしれない。その頃の子供にしては多すぎる家事もこなせたのだし、こなして母の機嫌がよければそれでよかった。言うなれば「何が幸せか」までもコントロールされていたのかもしれない。

やがて世間に放り出され、私の言動にいちいち顔色を変える大人なんていないことに、逆に恐れを覚えた。顔色が分からなければ、自分のしていることの善悪が判断できないからだ。着る服さえも分からない。

そのうち、人を楽しませ笑わせるピエロになっていった。笑ってくれればそれで安心感を得られた。ファッションセンスもそのうち無難に落ち着いた。

私という人間はそうやって、他人という鏡を見ながら作られていった。虚像だ。

人と人とを結びつけるのが私の天性の性格みたいなものだったので、仕事関係の知り合いはネットワークのように増えていった。だから独立しても仕事には困らなかった。もう8年以上も前の話だ。

旦那と一緒になってから、彼は等身大の自分しか信用しない人間だったので、ある程度はったりで仕事をやり取りするという世界を嫌った。そんなこと言ってたら、いつまでたっても実務は身に付かないのに…。でも旦那はそれにこだわった。私がうつになったこともあり、仕事関係のネットワークはすべて断ち切ってしまった。年賀状すら下請けさんにしか出さなくなってしまった。半分旦那を恨んだけど、半分は自分も選んだ道だ。私の作ったネットワークを彼は気に入らなかったのかもしれない。でも私は彼に従った。

今私が独り、独立しても、もうあの頃の実力はない。だから、ネットワークを復活させることもできない。後戻りはできないのだ。

たとえこれから健康になれたとして、虚像を演じ、虚像に囲まれ、生きて行くよりは、今の自分のほうがいいのかもしれない。過去を背負い、過去の清算ができないまま、もがきながら、「生きて」いくのだろうか。


最後になったけど、私にとっての「幸せ」とは
ぬくもり 安らぎ
この二言に尽きるかもしれない。旦那は旦那なりに大事にしてくれる。温度としてのぬくもりはないけれど、一応病気を気遣ってはくれているようだ。私はそれで満足しておくべきかもしれない。幼い頃に比べてたら、格段に平和なのだから。いきなりモノが壊れたり、叩かれたり、怒鳴られたり、しないだけでも十分平和かもしれない。



今日の病状:手指むくみ■■■□□。関節痛。
…むくみは5段階評価を黒四角でインジケート、■が多いほど不快です。



なかのひと

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コメント

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キノさんへ

幸せが気付くものなら、私は一生気付けないかもしれません。そんだけ悲観的なのかなぁ。

> 本人が解決するしかないことですし、過去は変えられない。

言われちゃいましたね。そうなんです。旦那に押し付けるものじゃないのは分かってるんです。でもそう言う過去もすべて含めて私を見て欲しいなぁとつい甘えてしまいます。

私は母にはあまり感謝していません。どうしてだろう?
衣食住のうち、住に関しては私にはどうすることもできないことだったけど、それ以外はネグレクトされていたわけではないけど、感謝という言葉がどうしても出て来ない。

なんだかひねくれたレスになってしまってごめんなさい。

Unknown

幸せは、求めるものではなく、気づくものなのかもしれません。
私も、心の安らぎが欲しい・・・
私は、ダンナに求める心があるので、幸せに思えないのだと思う(苦笑)
でも、こうして生きてるのは、ダンナのおかげ。
感謝しなきゃって思いもあります。
お互い欠陥はありますが、何とか折り合いつけてます。
ろばさん夫婦は、ろばさんにしか分からない部分が多いと思いますが、お互いを気遣っていくのかもしれないな・・・なんて思ってみたりもしています。
ACに関しては、周りでも見聞きしてます。
本人が解決するしかないことですし、過去は変えられない。
過去を憂えると、悪い思い出ばかりになるようで・・・良かったことは、あまり思い出さないような気がします。
頭の切り替え、分かっていても難しいですね!
特に母に関しては、私もいろいろあって・・・
食べれて、飲めて、着れて、住めて、恵まれてるって思います。
明日の食べる心配がないのだから・・・

おばばさんへ

なんだか似てますね。

私ももうもどれはしないのに、あの頃に戻れれば自分を取り戻せそうに思うし。

高校に私の居場所はなかったし。クラス会にふっきれるようになったのもつい最近です。友人は友人でいたけど。

「悩む力」ベストセラーだったんですね。読んでみたいな。

ぶりさまへ

誰かといて安らげるって理想ですね。そういう人がいたらいいなぁ。私は布団の中でぬくぬくしているときかな。昔はお風呂場でした。

本はたくさん紹介してくださるのに消化できなくてごめんなさい。強迫も邪魔してて、図書館にあっても借りられないし。

Unknown

本当に過酷な現実の中にいる時は、むしろ、本能的にマイナス思考を自分の中から追い出して、言われなくても「前向き」に生きるしかないのかも知れませんね。

そうでなければ、誰が見ても耐え難い日常の中で、子供のろばさんは生きて来れなかったと思います。お父さんが逃げて、お母さんと二人取り残され、重い荷物を抱えて買い物をし、炊事や雑事をこなし、それでもお母さんの具合が悪い時には理不尽な攻撃を受けて…。

そんな中でもしっかり自分が生きていく道を見つけて頑張った。本当は、そこで幸せが訪れなければならないのに、運命は本当に厳しすぎる。心と体に病を得て、自分で思いっきり仕事をこなすことが難しくなってしまった。

過去の辛い記憶が苦しいのは、むしろ、その後の人生で壁に突き当たってもがく時に、どうしてもそこへ引き戻されてしまうからなのかも知れません。

私などは、お話を聞けば、もう何も言う資格はないかな、と思うくらい、ましな方です。ただ、世間に出てからの生き辛さ、それは非常に分かります。私も母の心を満たすことが必要だったから、自分の本当の気持ちとか、希望とか、自分でも分からないまま生きてました。

別の所のコメントで、「自分を回復する」って書きましたが、本当は、回復する自分なんてないのです。敢えて言えば、私も仕事をしている頃は、自分で言うのも何ですが「出来る」人間でした。いつも自分のことよりも、仕事が自分に要求すること、自分がどう振る舞えば、どうノルマを果たせば全体の効率がもっとも良くなるか、そればっかり考えていたのだから、当然だと思います。

でも、あっちでもこっちでも、結婚したら家庭でも、完全であろうとしても、それは無理でした。私はより完全であることをアイデンティティにしようとして、逆に挫折してしまった気がします。

私がもう一度、本当に自信を持って生きていくためには、充実して仕事をしていたあの頃に戻らなければならないのかもしれません。でも、それはもう永遠に叶いません。こんな体で、家の事さえ納得できるだけのレベルには程遠いです。

私が卒業した高校のクラスは、それこそ『高校三年生』の「クラス仲間はいつまでも」とでも歌い出しかねない乗りで、二年おきにクラス会をやってます。そこには当然、順調にいってる人しか出てこないので、その場に顔を出すには、見栄を張るだけの何かが自分にないとダメなのです。何回か出ました。でも、いつも惨めな思いと腹立たしさを感じて帰って来るだけです。病気のことも話したけれど、誰も本当のことは分かってくれない。皆、人生に手を抜いたなぁ、何だ、仕事してないの?みたいな感じで。

私はこのクラス会の案内が、この先死ぬまで続くかと思うとゾッとします。それでも、顔ぶれの中には親しくメールを交わしたりする友人もいるから、ズルズルと関係は続いてきました。


それが病気の自分(現実の自分)と理想とする自分、引きこもるか出て行くか、そんな葛藤の日々の一因だと思います。

答えの出せぬまま、ろばさんのブログにやってきました。「虚像を演じ、虚像に囲まれ、生きて行くよりは、今の自分のほうがいいのかもしれない」の言葉は、何だか自分のためにある気がします。

私もずっと紙の本は読めなかった。でも、ろばさんの問題に関わって、本棚にたまたまあった『悩む力』を手に取って、今、読めてます。まだ最後まで行ってないので、何とも言えませんが、きっと解決はあると思います。

今は、心を休めて下さい。

Unknown

ろばさんがお友達に会ってまた元気になられたようでなによりです。
安らぎが欲しいと思うのはわがままではなく、人の欲求として自然と思います。ただ、その安らぎの状態、人によって違うのではと思います。誰かと主に過ごす時に安らぎを感じることもあれば、一人でいる時に安らぐこともあるのでは。私は後者です。自分を突き詰めることができる状態でいることが安らぐって変に聞こえるかもしれませんが。(^^;
そんなことをうまく説明した本、先日の泉谷さんの著書
『「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義』研究社 、2009年、ISBN-13: 978-4327378158
本は積ん読でいいと思っています。背表紙を眺めるだけでもいい。そこにあることが重要なので、読まなくてもいいと考えています。

でこさんへ

久々にでこさんや皆さんのブログにお邪魔したんです。

でこさん、たくさんの本を読まれていますね。お薬が効いているみたいでうらやましい&よかったです。

私はけっきょく勧められた本とかも、買ってはみたものの、読めずに積んであります。いつになったら活字が読めるようになるのかな。

”今ある場所にある”
”幸せは「なる」ものではなく、「ある」もの”

そうなんですか…。

私はもう幸せはいらないから、安らぎが欲しいです。わがままかな〜?

もう過ぎた子供時代は戻ってこないのに。思い出すと、返して欲しい!って痛切に思うんです。

あ、ごめんなさい。また後ろ向きになってますね。

しあわせ…って

ろばさん♪

私も、ここのところ、くよくよしてて
幸せってなんだろうとか
うつうつ…ってしてたんですよ。

それで、
本を読み返したりしてたんだけど、
やっぱり
幸せって
”今ある場所にある”
”幸せは「なる」ものではなく、「ある」もの”
みたいです。

幸せと思うも不幸と思うも
自分次第
って、思ったら、(私は)少し、心が軽くなりましたよ。

ろばさんが
「旦那は旦那なりに大事にしてくれる」って思えてきたって、良かったな〜ぁって
本当に良かったなぁ〜って
嬉しかったですヨ。

高校時代のお友達やこのブログ仲間…
ろばさんは、たくさんの宝を持ってますよ。
ろばさんがいなかったら、私、このブログの輪に参加できなかったし…
このブログの輪がなかったら
膠原病を受け入れることできなかったし、
うつ病の治療に踏み切ることもできなかったと思う。
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ろば

Author:ろば
びまん型全身性強皮症慢性疼痛(筋筋膜性疼痛症候群)双極性障害II型強迫性障害。趣味は習字と実験。

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